病理診断から治療、解剖までひとりでこなす

ほかの師匠とはどのようなかかわりがあったのですか。

鈴宮

菊池先生と住吉先生は九大の同級生で、仲が良かったので、そのご縁で菊池先生の通信教育を受けていました。わからない標本を溜めておいて菊池先生に送ると、親切に返事をくださるのです。1973年から福岡大学の病理学教授をされていて、リンパ腫についていろんなことを教わりました。
田村先生は九大卒業後に米国に留学されて、日本には少ない臨床腫瘍医になられ、1980年に宮崎県立宮崎病院に赴任された先生です。アメリカでトレーニングを受けられたので、早い時期からきちんと告知されるのです。大変勉強熱心な先生で、住吉先生からも「田村先生くらい勉強をしてみんね」、とよく言われていましたが、できていないことはみんながよく知っています。田村先生は教えることが好きで、診察のイロハから臨床腫瘍学に関する多くのことを教えてくださいました。
名和先生は1984年から宮崎医科大学の寄生虫学教室の教授をされていて、赴任されたときはまだ40歳くらいでした。ちょうどサッカー部の部長が定年退職されたので、後任の部長になっていただくようお願いにいったのが最初です。名和先生からはいろんなことを教えていただきましたが、僕が先生に教えてあげられたのはサッカーだけ。僕らは医師になっても「ドクターズチーム」をつくってサッカーをしていたので、先生を誘って、その年齢からサッカーを始められたのです。先生の初得点で宴会をしたのを覚えています。また、このチームには、国際的な生化学者であります寒川賢治先生(前国立循環器病センター研究所所長)がいらっしゃいました。寒川先生は学生時代からサッカー部のコーチをしていただいた関係で遊んでいただきました。ノーベル賞候補といわれる先生ですが、いま振り返ってみましても、先生と学問の話をした記憶がほとんどありません。もったいないことですね(笑)。

宮崎医科大学第一病理の次はどこに行かれたのですか。

鈴宮

1991年に先輩の先生に誘われて福岡大学第一内科に移りました。そこでは第一内科と第一病理の助手を兼任した時期も比較的長かったので、すごく忙しかったです。病理では胃がんなど全部の臓器の標本も見ていました。通常、がんの治療は外科の先生方の手術の力が大きく、治療としては手術中心になります。しかし、血液腫瘍は自分で標本をみて診断して、自分で治療し、亡くなったら自分で解剖する。自分に都合の良い解釈になるので、本当は一人で全部やるのはよくないのですが、自分で解剖すれば、調べたいところを詳細に調べることができますので、無理にお願いをして解剖をさせていただいたことが数回あります。

臨床医で病理専門医の資格をもっている方は少ないのではないですか。

鈴宮

普通は取らないですね。病理の仕事は病理診断と病理解剖に分かれていて、僕は病理解剖が好きだったんです。なぜ死亡したのか、原因を探すのが好きだったんですね。病理には各科から診断のために検体がたくさん集まってきて、診断のコンサルのために人もたくさん集まってきますので、知り合いがたくさんできます。また、外科を含む色々な診療科から大学院生も大勢来ていて、病理での勉強や研究が終わって各診療科に戻り、その人たちがすぐに中堅になるので、臨床上の無理難題も聞いてもらえて助かっていました。無理難題をお聞きくださった先生方に、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。