今回は長崎大学 原爆後障害医療研究所 所長の宮﨑泰司先生に、血液内科医になるまでの道のりと、これからの展望をお話しいただきました。
ご出身はどちらで、子供の頃はどんな少年でしたか。
長崎生まれの長崎育ちです。とてもおとなしく、人前に出るのが苦手で、いつも母親のうしろをついて回るような子供でした。兄と姉がいて、私は末っ子です。兄は3つ上ですが、姉は10歳上ですので、小さい頃はおしめを替えてあげたことがあるんだよと言っていました。だから、姉にはかなわないですね(笑)。
子供の頃は、どういうことに興味がありましたか。
本を読むのが好きだったですね。絵本から文字が中心のものまで、何でも読んでいました。
ということは、どちらかというと文系だったのですか。
よくわかりませんが、5年生のときに小学校にサッカークラブができて、友だちと一緒に入ったのです。そのあたりからだんだん元気な子になり、体育会系になっていきました。中学校に入ったら今度はバスケットを始めまして、高校のときは部活はしなかったのですが、大学に入ってからまたバスケットを始めました。
中学生の頃はバスケット中心の生活だったのですか。
昔の運動部ですので、完全な体育会系でしたね。みんなと一緒に県大会で佐世保に遠征したりして、楽しかったですね。私の中学校は長崎市内で、当時は旅行することも滅多になかったので、みんなでバスで佐世保まで行って、泊まり掛けで試合をしたんです。それがとても嬉しかった。当時は県で1、2を争うくらい強いチームでした。
中学生のころはどんな本を読んでいらっしゃいましたか。
同級生に面白い子がいて、勝手に「推理小説クラブ」をつくったのです。推理小説が好きな子を仲間にして、持っている本を貸し合うというだけなのですが、私もそれに参加して、推理小説をよく読んでいました。当時、好きだったのは江戸川乱歩とか、ルパンシリーズの「奇巌城(きがんじょう)」などの推理冒険ものですね。