留学先はいろんな英語が飛び交う、
国際色豊かなメルボルンの研究所

留学時代のお話を聞かせていただけますか。

黒田

大学院の半分は国内留学で、京都大学の前川平先生の教室でご指導いただき、京都府立医科大学とは異なる持ち味、異なる環境の大学で勉強する機会を得ました。また、分子標的薬をもってしても完治できないことがわかってきて、細胞の生死のメカニズムをきちんと勉強したいと思うようになり、メルボルンのThe Walter and Eliza Hall Institute (WEHI)に留学することにしました。そこは、前川先生や木村先生、古くは東京大学医科学研究所の浅野茂隆先生も留学された研究所で、G-CSFを発見したことなどで有名です。僕はプログラム細胞死を研究しているAndreas Strasser先生の部門に受け入れてもらって、2年間勉強することになりました。

留学先の生活はどんなでしたか。

黒田

メルボルンは都会なのですが、ポッサムがその辺を歩いていたり、モモンガが飛んでいたりする自然あふれる街です。2004~2006年頃は物価も安く、特にメルボルンは外国人に寛容な街なので、暮らしやすかったです。移民が多く、ラボにはオーストラリア人はほとんどおらず、僕のラボヘッドもスイス人でしたし、一緒にポスドクをやっていたのはイギリス人、シンガポール人、スイス人、マケドニア人。一番仲良くしてくれたのは、隣のラボのインド人とフランス人でした。ただMDはすごく少なくて、700人ぐらいいる中で、僕を含めて3人だけ。メディカルリサーチ・センターなのに、ほとんどが理学部出身など生粋の研究者でしたよ。

それだけ国際色豊かであれば、いろんな英語が飛び交っていたでしょうね。

黒田

そうなのです。いろんな英語があって、面白いですよ。僕の英語はダントツでわかりにくいのですが、イタリア人やスペイン人の英語も難解でした。わかりやすいのはイギリス、インド、ドイツです。スイス人のボスは、7ヵ国語を使い分けることができましたが、僕は英語が苦手だったので、仕事の話以外は会話についていけませんでした。ティータイムに、オーストラリアの政治やドラマの話が出ても、僕にわかるテレビの話はアニメの「ザ・シンプソンズ」だけ(笑)。だから、孤独でしたが、サッカーを通して溶け込むことができました。サッカーは言葉がいりませんからね。僕のラボヘッドはサッカーが大好きで、研究所中から各国の人たちが集まってきて、毎週金曜の夕方5時から日が暮れるまで、隣のハイスクールのグラウンドでサッカーをするのです。サッカーボールがラボに置いてあって、クリーンベンチのCO2チューブで空気を入れるのですが、CO2なので球が重く、変な飛び方をするのです(笑)。グラウンドに行かないと、「夕方5時以降は仕事なんかするな」って怒られて、サッカーが終わったら近所のパブでビールを飲んで。そうやって少しずつ馴染んでいって、馴染んだ頃に留学が終わってしまいました。