古きよき大学時代を回想する

その時の担任の先生はどんな方でしたか?

清井

大学時代も勉強熱心な学生ではありませんでした。僕は基本的に出無精で、あまり活動的なタイプではありません。たまたま父親の知り合いが和歌山で届出自動車教習所(一発試験を受ける人のための教習所)を経営しており、学生時代にそこで自動車免許を取得したのですが、そういう所には暴走族のような若者が多く、運転はできるけれど学科が苦手なので、学科を教えるアルバイトを頼まれたのです。そこで、休みのたびに試験に受かるテクニックを教えていたら、今度は運転も教えるように頼まれて。そんなことで、実は僕は大型免許や二種免許、二輪免許も持っているのですよ。
そのときに教えた若者たちも今はまじめに働いていて、年賀状のやり取りが続いています。大学での付き合いとはまた違って、楽しかったですね。

幅広くお付き合いができる柔軟性のある性格なのですね。

清井

いえいえ、そうではないのです。偶然のめぐり合わせで、そういう付き合いをすることになっただけです。それに車も好きだったのです。だから、自分で車が買えるようになると、彼らが車を改造してくれました。最初の車はカローラ・レビンで、マフラーを換えたり、車高を落としたりしていました。今は通勤に使うだけで、ノーマル仕様ですけど。

ほかに、医学生時代にはどんなエピソードがありますか。

清井

近くの下宿の友だちと夜中まで遊んで、夕方起きてといった生活をしていました。当時の医学部は一般教養が2年間あり、その後学部に移行するわけですが、初めのうちは基礎系科目の授業が続きます。人体解剖は学校に行かざるを得ませんし、基礎系は厳しい先生方が多かったので、皆、真面目に授業を受けていましたね。でも、臨床系の授業になると途端に出席率が悪くなるのです。ある教授は出席者が少なかったから、「じゃあ、コーヒー飲みに行こうか」と…。古きよき時代ですね。

大学4年になると、学生が好きな研究室に行って実験を教えてもらうM2セミナーがあり、僕は血液の研究室を選びました。
当時名古屋大学の血液研究室は第一内科の中にあり、伝統ある研究室でした。第一内科の助教授だった山田一正先生が分院内科の教授になられたので、新たに分院内科にも血液の研究室ができました。僕はそちらに行ったのです。山田先生の下には珠玖洋先生(現三重大学教授)、その下に僕の直接のボスである直江知樹先生(前名古屋大学血液・腫瘍内科学教授)がいらっしゃいました。M2セミナーでは、研究のイロハから血液学の魅力を教えていただきました。

また、臨床系の授業はあまり出ていなかったのですが、さすがに血液の授業だけは出ないとまずいので、真面目に出席していました。山田先生はすごい先生で、授業の途中で「ここで一服」と言って休憩が入るのです。内科の試験の時には口頭試問もあったのですが、僕らのグループの口頭試問の担当が偶然にも山田先生だったので、仲間から「どんな質問が出るのか聞いて来て」と頼まれ、聞きに行きました。すると先生は「いや、それは教えられませんけどね」とか言いながら、棚から教科書を出してきて、ページをめくりながら「まあ、この辺はやっぱり大事ですよ」と熱心に解説してくださるのですよ。しかも当日は、ちゃんとそのとおりに質問してくださいました(笑)。