恩師と仲間に恵まれた 中学・高校時代

その時の担任の先生はどんな方でしたか?

清井

中学2年と3年の担任は、萬代恭子先生という家庭科の先生でした。生徒に慕われるいい先生で、僕はそこで劇的に変わりました。勉強する気になったし、そのように仕向けてくださった当時の先生方にはとても感謝しています。人生を決定した3年間でした。
萬代先生は家庭科の先生ですから、直接授業で教わることはなかったのですが、大きな影響を受けました。萬代先生を中心に生徒が集い、そのまま卒業後も交流が続いていったのです。彼らに共通点があったわけではなく、職業もバラバラで、公務員もいれば、出雲大社の巫女になった人もいます。ただ、先生の魅力でみんながつながっていったという感じです。

中学時代に何か部活動をされていましたか。

清井

僕は2回転校しているので、部活には入っていないのです。ただ、家が学校から近かったので、帰りに友達が寄っていくようになり、わが家がいつのまにか雀荘になっていましたね。麻雀牌をもっている子がいて、最初は学校でやっていたのが、いつの間にか僕の家でやるようになったのです。賭けていたわけではなく、友だちも6時ぐらいには帰っていくので、両親に叱られることもありませんでした。

そんな仲間と別れて、また和歌山県に戻られたわけですが、和歌山の高校時代はどんな感じでしたか

清井

転校先は和歌山の県立高校ですが、高校2年ときの担任がまたいい先生で、その先生を囲んで仲間が集い、卒業後も交流が続くという出雲と同じパターンでした。園部尚正先生という若い物理の先生でした。園部先生の奥様や、当時は幼稚園生だった娘さんも加わって、家族ぐるみのお付き合いをしていただきました。今でも僕がたまに和歌山に帰ると、当時の同級生が集まってくれたりします。
高校3年は文系と理系に分かれるので、医学部に行こうと思って理系のクラスに入りました。当時は、わが校からは毎年、地元の和歌山県立医大に20名以上が進学していましたが、僕はなんとなく県外に出たかったので、名古屋大学を受験しました。受験は共通一次の2回目で、名古屋大学は二次試験の理科が1科目だけだったので、物理が苦手な僕には好都合だったのです。皮肉なことに、お世話になった先生の専門科目は自分にはまったく活かせていないのです。