和歌山から出雲へ、そして再び和歌山へ

医師を目指されたきっかけは何だったのでしょうか?

清井

僕は和歌山県の出身で、母方の祖父母は僕が生まれる前に亡くなっているのです。祖母は恐らく腎結核だったと思うのですが、手術台の上で亡くなったそうです。母はそのことがどうしても納得できなかったようで、その話を何度も聞かされました。そういうこともあり、医師の家系でもないのに、「あなたにはお医者さんになって欲しい」と昔から言われていました。

でも、医学に実際に興味をもったのはもっとミーハーな理由です。中学2年の時に、父の仕事の関係で島根県出雲市の中学に転校したのですが、ちょうどその頃、山口百恵出演の「赤い疑惑」というドラマが流行っていて、はまってしまったのです。今になってみると奇想天外なストーリーなのですが、事故で被爆した少女が白血病になる話です。彼女には出生の秘密があり、輸血の時の血液型から実の親ではないことがわかったりして…。山口百恵のファンだったし、血液って面白いなと思いました。

中学2年で、すでに血液内科への道が始まったのですね。

清井

いいえ、興味は持ちましたが、まさか、本当に血液内科医になるとは思っていませんでした。ただ、漠然と自分は医師になるんだろうなあと思っていただけです。強い意思をもって、自ら積極的に何かに取り組んできたというわけではないのです。その場、その場の流れに乗っているうちに、ここにたどり着いたという感じです。

転校したことで、何か変わったことはありましたか。

清井

出雲への引っ越しは、僕にとって大きな転機だったと思います。実は、和歌山で通っていた中学校は荒れていて、不良というか、やんちゃな生徒も多かったのです。そんな仲間と一緒になって遊んでいたので、成績もあまり良くありませんでした。
ところが、転校先の中学校は生活習慣や礼節を重んじる昔ながらの教育をしており、ものすごいカルチャーショックを受けました。出雲市立第二中学校という公立中学ですが、父親に連れられて挨拶に行ったら、まず「頭髪は坊主です」と言われました。朝は全校生徒が一斉に廊下や教室の雑巾がけです。まず、そういうところから入るのですね。だからといって、先生方が厳しいわけではなく、生徒の気持ちを理解してくださる優しい先生たちでした。
和歌山も方言がきついのですが、出雲の方言はそれ以上で、東北地方の方言に少し似ています。最初の頃は授業中の先生が話される言葉がわからず、理解できたのは国語と英語の授業だけでした。素朴で人間味あふれる先生たちで、同級生もすぐに打ち解けてくれたので、転校して疎外感を感じることはありませんでした。出雲には3年間しかいなかったのですが、その頃の付き合いは今も続いています。