ハードワーカーで厳しかったフィル

実際にロサンゼルスに行かれて、現地の生活はどうでしたか。

木崎

ロサンゼルスに行ったのが1988年の4月。2歳の子供を連れて、家族3人で行きました。海外に行ったのは新婚旅行に次いで2回目で、とにかく緊張していました。空港には、

先に留学していた自治医科大学の明石真言先生(現 国立研究開発法人 放射線医学総合研究所 理事)が迎えに来てくれました。そして、アパートが見つかるまで、フィルの家に泊めていただくことになったのです。サンタモニカ周辺のブレンドウッドの山の中の高級住宅街にある大邸宅で、プールがあり、裏山を上がっていくとテニスコートとバスケットコートがある。奥様は弁護士で、小さなお子さんがいました。そういう

お宅に家族でお世話になり、朝になるとラボのメンバーが1人ずつ迎えに来てくれて、アパート探しに行くわけです。先生なりに親密感をアピールしてくれたのだと思いますが、申し訳ないし、落ち着かないんです。とにかく早くアパートを決めたくて、緊張した居候生活を1週間ぐらい送りました。

ようやくアパートが見つかって、3人での生活が始まったわけですが、アメリカでは電気やガスの手続きも電話で交渉しなければならず、最初は大変でした。でも、慣れてくると楽しい3年間でしたね。よく勉強したし、よく研究したし、仕事を一生懸命しました。

フィル先生はどんな先生でしたか。

木崎

世界で初めてKG-1という急性骨髄性白血病(AML)の細胞株を樹立した有名な人で、それが先生のラボを選んだ理由の1つでした。すごく厳しい人でしたが、日本人が好きだったんです。なぜかというと、日本人は安い給料でも文句を言わずによく働いて、何年かしたら必ず帰国するからです。ケフラーラボ出身の日本人は80人ぐらいいますが、僕は3人目の日本人でした。

フィルはものすごく負けず嫌いで、豪邸に住んでいても働き者で質素なんです。アメリカ人は余暇を楽しむような人が多いかと思っていたら、とんでもない。アメリカで頑張っている人は朝早くから出勤し、休日も働いています。ある時、週末に家族でヨセミテ公園に遊びに行ったら、月曜の朝に「週末の実験はどうだったか」とメモが置いてありました。ヨセミテに行ったことを知っていて、そう書いているんですよ。怖いですよね(笑)。