高校の恩師の影響で相対性理論を勉強し、自然科学への 興味から医学の道へ

医師になろうと思われた時期と理由を教えてください。

木崎

よく聞かれるんだけど、大した理由はないんですよね。よくよく考えてみると、高校時代の影響が大きかったと思います。それまでは医師になろうとは思ってもいなかったし、家族に医師がいるわけでもありません。父親は農林省の役人で、転勤が多くて僕は小学校を5つ、中学校を2つかわりました。転校ばかりでさすがに落ち着きたいと、高校は当時学生寮のあった慶應義塾志木高校を選びました。結局、寮には入らなかったのですが。

この高校は教育方針がユニークで、先生は教科書をまったく使わなかったんです。大学受験がないので何を教えてもよかったんですね。例えば、現代国語は俳句の時間でした。先生が俳句の先生で、校庭に出て俳句をつくって持ってきなさいと。読書もたくさんさせられました。文庫本が教科書代わりで、当時読んで記憶に残っているのは遠藤周作の『海と毒薬』とか野坂昭如の『火垂るの墓』とか、アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』などの小説。地学は「箱根の外輪山はどのようにしてできたのか」を現地調査も交えて1年かけて調べました。この高校で受けた教育は、その後の僕のバックボーンになっており、大きな財産です。

特に影響を受けた先生はいらっしゃいますか。

木崎

高校2年と3年の時の担任だった物理の伊藤明治郎先生です。授業の最初に「君たち、電車に乗っていると風景が後ろにいくのはなぜだ」と聞かれて…。それはアインシュタインの相対性理論で説明がつくのです。だから、僕が物理の時間に勉強したのは相対性理論でした。伊藤先生の授業は本当に面白くて、それで自然科学を勉強したいと思ったのですが、成績もよかったので、伊藤先生から医学部進学を勧められたのです。「人間は自然の一部だから、人間を見ることは自然を勉強することなのです」というような話をされて、そこから医学の道に進もうかなと思うようになったと思います。物理の先生ですが、とても教養に溢れた人でした。

後に、僕が研修医になったとき、偶然ですが、伊藤先生の主治医になりました。マイコプラズマ肺炎でした。その数年後、大腸癌で入院され、そのときは主治医ではなかったのですが、病室にお見舞いに行ったら、「定年になったら、君たち教え子と自然を語る会をつくりたい」とおっしゃいました。結局、大腸癌で亡くなられたのですけれど、僕の心のなかでずっと生き続けている人です。だから、私の人生を方向付けた人という意味でのメンターは伊藤明治郞先生と、留学先でお世話になったH. Phillip Koeffler(みんな親しみをこめてフィルと呼んでいます)先生のお2人だと思っています。