不治の病から勝利宣言へ。
留学時代にAIDSの転換期を体験

HIVの研究を始められたのは留学時代ですか?

高折

はい。実はずっと留学したかったのに、教授が僕にはなかなか留学先を紹介してくれなかったんですよ。最終的には「HIVでもいいのなら紹介してやる」と言われて、それで留学先を決めたんです。
紹介されたのはWarner C. Greeneという有名な先生で、教授の留学時代の同僚でした。僕はどうしても留学したかったので、それでGreene先生に師事して、HIVの研究を始めました。そのとき、僕はHIVの研究をするしか生きる道はないと思ったんです。だからネガティブセレクションでウイルスの研究を始めたわけです。

留学したかった理由を教えてください

高折

僕が留学したかった理由は、広い世界を見てみたかったということですね。僕は海外旅行とか行ったことなかったんですよ。留学前に1回だけ、国際学会があって、それがちょうどうちの家内と結婚するときで、新婚旅行を兼ねてハンガリーに行きました。

留学のときも戸惑うことがありましたか?

高折

5月1日付けで、当時、山中伸弥先生もいたGLADSTONE研究所に配属されました。キャンパスが広くて、どこかわからなくて、administrative officeに行って聞いても、英語が通じない。とにかくわからなくて、誰に聞いてもわからない。そうしたら、たまたまGLADSTONE研究所の秘書さんがいて、「おまえ、今日来ることになっていたやつか?」ということで、連れていってもらって。
そしてGreene先生に会ったら、先生が「背広を着て、俺のところにきたのはおまえが初めてだ」と。ムッチャおのぼりさんでした(笑)。まあ、日本人があんまりいなかったからかもしれませんけどね。さんざんでした。

留学の際には奥様もご一緒だったのですか?

高折

いや、僕は単身赴任だったんです。1992年に結婚して、留学する年の1995年に子供ができたので、僕は単身赴任になりました。
行ったはいいけど、料理とかは自分で作らなくちゃならないし、とにかくお金がなかったですね。日本人が何人かまわりにいましたけど、みんな家族連れで来ていて、しかもみんな助手を休職して来ているんですよ。僕は助手でもなかったし、お金がない。たまに日曜日とかにバーベキューに呼ばれて行くと、みんな、どこかに遊びに行ったっていう話ばっかり。うらやましくて。
留学時代、僕はまったく遊びに行かなかったですね、留学中に何かをしないと、もう将来はないと思っていましたから、ずっと一人で、日本語しゃべらずに一生懸命に研究していました。

留学時の研究内容はHIVとのことでしたが、当時は本当にまだ何もわかってない時代ですよね。

高折

そうです。当時、研究所の横にSan Francisco General Hospitalという病院があって、研究所にM.D.の人もいて、ボランティアで患者を診に行ってたんですね。診に行っているけど、全然助からなかったから。
AIDS walkというのがあって、みんなTシャツを着て、AIDS撲滅をスローガンに掲げて、ゴールデンゲートパークを歩くんです。僕も参加しました。何千人か参加していましたよ。当時は全然治らなかったから、大変でした。みんな真剣に研究していました。
僕はサンフランシスコにいたんで、ゲイのカップルとかいっぱいいるんですね、ラボに。すごく親しかった人とかもゲイのカップルで、結婚式を挙げたりしていました。ゲイでHIVの研究をしていたり…。スタンフォードに行ったら、実際に感染している人とかが研究していましたからね、当時は。

今は、AIDS研究も随分進展していると思いますが。

高折

そうですね。1995年に留学して、1996年にちょうどバンクーバーで国際AIDS会議があって、そのときに初めて、今の抗HIV療法(HAART)が報告されたんですよ。Anthony Fauci先生がAIDSは治るかもしれないと言って、勝利宣言みたいなことをしました。それから今年がちょうど20年目です。今年またバンクーバーで20年ぶりに国際AIDS会議が開催されます。
1996年の勝利宣言を見られたのはよかったですね。AIDSが治らない時代から、治るかもしれないとなったときに行っていたので、熱狂ぶりが印象的でした。