一見無駄に思えた地道な努力が生んだUT‐7

初めての研究で、研究の面白さに目覚められたのでしょうか?

小松

最初はそう思っていませんでした。最初の研究で書いた論文を『British Journal of Haematology』(BJH)に出しました。『BJH』は昔は「Blood」に次ぐ雑誌で、非常に憧れの雑誌だったんです。だから僕は論文が受理されたときに、「よかった。もうこれでいいや。もうこれでやめよう」と思いました。

須田先生に、「先生、僕はもうこれで充分に満足です」と言ったら、須田先生が「小松くん、人間というのはそういうものじゃないんだよ。必ずもっと良い雑誌を目指したいと思うようになると思う」と言われました。そんなことないと思っていましたが、実際に出てみると不思議なことにそんな気分になるんですね。それで次が『Cancer Research』で、その次が『Blood』となりました。

巨核球コロニーはなかなか難しく、また検体の提供がないと実験できなかったため、cell line(細胞株)という、ずっと生き続ける細胞に目を向けました。通常、白血病細胞というのは体の中では生きていますが、外に出すと死んでしまいます。けれど、ずーっと永遠に生きられる細胞ができることがまれにあるんです。それを細胞株と呼びます。 巨核球の細胞株を使いたいと思っていたおり、巨核球の細胞株を樹立された千葉大学小児科の佐藤武幸先生にお願いしたところ、その細胞株「CMK」を快く提供していただけました。

この「CMK」にある特殊な試薬を入れると、巨核球へと成熟するのですが、その培養上清が、何日か経つとまっ黄色になるんです。何気なく、この細胞の上清を元の細胞株にかけてみたんです。そうしたらこの細胞が成熟しないで、ものすごく増えるんですね。これはもしかしたら、その当時まだ誰も精製に成功していないトロンボポエチンではないかと思いました。巨核球を増やす、血小板を増やす因子、トロンボポエチンが出ているんじゃないかと考え、精製してやろうと思いました。純化、精製のエキスパートでいらっしゃる岡田雅之先生の指導の下、毎日培養液を濃縮して、カラムにかけて、精製しました。1年間ほどしたところで、どうも既存の因子ではないかと思われてきて、調べたところ、GM-CSFが検出されたんです。1年間かけて、本当に夜中の2時3時まで頑張ってやってきたけれだけど、結果は既存のGM-CSFだった。『Blood』に受理されて、一応形にはなったけど、これからどうしようかと思いました。

一年の苦労が実らなかったんですね。

小松

そのときはね。
そんなときに川﨑医科大学の和田秀穂先生から声がかかりました。和田先生は以前、須田先生の研究室に国内留学されていたので、僕が巨核球に興味があることをご存知だったんです。急性の巨核芽球性白血病の患者さんがいるので、その白血病の細胞をメチルセルロースという特殊な培地のなかで培養して、それがどんな状態なのか観察してほしいと言われました。液体培養したたら、ほとんどが死んでしまいました。1ヵ月間毎日観察していたんですけど、なんとなく増えそうだけど、また死んじゃうし、見ていると、また生きているような、なんだかよくわからない。そのときに、ふとひらめいて、前の研究で精製したGM-CSFが大量にあったので、ちょっとかけてみたら増えたんですよ。それでできたのが白血病細胞株UT‐7です。

ずっと、こまめに観察されたんですか?

小松

僕は1か月、毎日覗いていましたね。結婚していましたけど、土日も出て、覗きました。土日も大学に行くというのが僕の日課だったので、最近、ときどき日曜日に休むと、なんとなく悪いことしているような気になってしまうんです。

細胞株は通常増えてくるときには、そういう特殊な因子は要らなくてどんどん増えるんですけど、UT‐7はGM‐CSFやIL-3というサイトカインがないと死んでしまう。そしてエリスロポエチンがないと死んでしまう。そういうサイトカインにきわめて依存性の高い細胞株ができたんですね。それは今後何に使えるかというと、たとえばエリスロポエチンの生物活性を測ったりとか、トロンボポエチンの活性を測ったりするのに非常に有用なんですね。この細胞を論文で発表したら、いろんな人がほしいと言ってきました。UT‐7は世界中に広まって、そのUT‐7から、エリスロポエチンに依存性の高い細胞株や、トロンボポエチンに依存性の高い細胞株など、亜株がいっぱいできたわけです。

UT‐7という名前の由来はなんですか?

小松

1年かけた実験で新しいものを作れなくて、僕の心はほとんど死にかけていた。でも、この細胞も死にかけていたのに見事に生き返った。だから、起死回生の意味を込めて、子どもたちが好きだったヒーローの名をもじって「ウルトラセブン」と命名しました。カンファレンスの際に、教授の前で発表したところ、つけた名前を聞かれて、「ウルトラセブンとつけました」と答えたら、却下されました。そこで患者さんの急性白血病のタイプがM7というタイプだったことと、ウルトラ(ultra)から、UT‐7という名前をつけたんです。

UT‐7は非常に価値ある細胞株ですね。

小松

僕を紹介するときはみんな「UT‐7をつくった小松だ」と紹介してくれるぐらい、自分にとってもUT‐7というのは大きな存在ですね。UT‐7を通じて、いろんな人たちと知り合うこともできました。UT‐7がなければ、たぶん今の自分はなかったと思います。
「好きな言葉は何か?」と言えば、「努力」ですね。まあ順天堂の理念でもある「不断前進」とか。何かやっていれば生まれる可能性がある。やらなければおそらく何も生まれない。努力すれば必ず報われるということを信じて生きることが重要なのかなと、僕は思いますね。