特別講演

次世代プロテオミクスが拓く医学生物学の新地平

~90年来のがんの謎を解く~

中山 敬一 先生

九州大学生体防御医学研究所 ヒトプロテオーム研究センター

生命科学研究は,ヒトゲノムの解析が完了し,いよいよプロテオミクス時代へと移りつつある。ここからさらにシステム生命科学の段階に入るためには,全身の生化学反応を数理的に解析しなければならない。そのためには,タンパク質の精密な計測が必要である。全ゲノムの発現をみれば,タンパク質の量がわかるかというと,そうではない。RNA量とタンパク質の量はあまり相関せず,mRNA量が17 copy/cell(平均値)のとき,タンパク質量は104~107copy/cellであり,約1,000倍もの開きがある1)

したがって,全タンパク質量を直接的に計測しなければならない。そのための新技術として,我々が開発したのがプロテオーム解析基盤iMPAQT[in vitro proteome-assisted MRM (multiple reaction monitoring) for Protein Absolute QuanTification]法である1)

ヒトには1,244種もの代謝系酵素が存在するが,このiMPAQT法を用いてすべての絶対定量が可能になってきた。たとえば,解糖系・クエン酸サイクルの従来の模式図にはタンパク質量の情報がなかったが,iMPAQT法によりタンパク質量の情報を盛り込むことができた(図1)1)。図1に示した円の大きさが代謝酵素発現量を示しており,解糖経路の後期段階にかかわる酵素の多くは発現量が高いのに対して,前期段階にかかわる酵素の多くは発現量が低く,これら酵素の発現量が制限されることで律速段階を生み出している可能性が示唆される。

次に,がん代謝に関する研究成果を紹介したい。上記の解糖系の解析から,がんにおける90年来の謎であったWarburg効果を解明することができた1)。正常細胞では,酸素があるときにはミトコンドリアで酸化的リン酸化を行い,低酸素状態では乳酸を産生する(解糖)が,がん細胞では酸素の有無にかかわらず乳酸を産生する(好気的解糖)。この現象をWarburg効果と呼び,1924年にOtto Warburgが発表したが,そのメカニズムや意義については未解明のままであった。

そこで,Warburg効果が再現できる人工的に作製したがん化した細胞を対象に,iMPAQT法による代謝酵素の発現量を比較検討し,それに基づく数理解析によってシミュレーションを行った。その結果,がん化に伴い解糖系酵素の発現量が増加し,がん細胞が必要とする早い増殖に必要な核酸や脂質の合成に関与する酵素の発現亢進が認められた1)。すなわち,正常細胞が糖質から主にエネルギーを産生するのに対して,がん細胞は糖質を自らの構成成分(脂質や核酸)合成に利用することに特化した代謝状態に遷移している可能性が示唆された。さらに,解糖系の酵素であるPFK-M(phosphofructokinase M)と乳酸産生に関与するLDH-B(lactate dehydrogenase B)の上昇がWarburg効果に重要であり,この2つの酵素の上昇だけでWarburg効果がシミュレーションで再現できた1)。しかし,2つの酵素の上昇によって細胞ががん化するわけではない。したがって,Warburg効果はがん化の結果であって原因ではないと考えられる
(図2)1)

このように,iMPAQT法により細胞システム全体の変遷をプロテオーム情報として計測でき,代謝のような複雑な現象を定量的に評価し,がん代謝をシステムとして理解することで,がんの本質を解明できるのではないかと期待している。また,iMPAQT法の普及により,微細な代謝酵素発現量の変化からがんの代謝的特徴を抽出し,がん細胞特有の弱点を検出するなどの治療標的やバイオマーカーの探索,タンパク質発現変化に基づく各種疾患の診断法,創薬研究開発の効率化などが実現できる可能性があり,その成果に期待したい。

【参考文献】

  1. Matsumoto M, et al. Nat Methods 2017; 14: 251-258.

図1 解糖系・クエン酸サイクル関連タンパク質の絶対定量によるマップ構築
(円の大きさが代謝酵素発現量を示す)

図2 Warburg効果に重要な代謝酵素の特定